はじめに
なにか新しい事が起こるということを考えるときに、我々は次のようなパラドクスに直面することになる。たとえば、新しい知識の学習について考えてみる。我々は、知識の獲得というものは暗に、今まで未知だったものを既知化することだろうと理解している。ところが、それを認めたとたんに、未知はたんなる観測者の無知として扱われ、新しい事を学習するということが不可能になってしまう。というのも、既知の外側という意味で未知は既知化されてしまうからだ。では、いったい、未知の未知性とはなんなのだろうか。 私は、未知なるものが事物としての側面(トークン)と集合としての側面(タイプ)を両方になうからこそ、未知の未知性は保証され、学習や創発などを積極的に語る事ができると考える。このようなタイプ・トークンの両義性を担った過程は、とくに身体としての群れを理解する上で重要になってくるだろう(下の写真は沖縄に生息するミナミコメツキガニ。撮影:西山雄大)。各個体の担う個体性(トークン)と社会性(タイプ)の両義性は、常にミクロとマクロの境界を無効にし、その結果、群れは一つの身体を獲得する。このような描像をもとに、私は創発現象全般を解明したいと考えている。